2001年11月 9日Ý(金) 1年前を振り返って書いた日記の転載です。
未勝利戦の多いこの時期になると色々なことを考えます。
1年前の今頃…いや、そのもっと前から私はクイちゃんが競馬場に帰ってくるのを心待ちにしていました。
2000年2月20日、雪の日の牝馬一頭で頑張った府中でのレースを最後に彼女は長い長い休養に入ったままでしたから。
ソエが出て一端山元トレセンに行き、それから北海道に戻り、札幌で走るかと思いきや、脚の調子が悪くて長引き、ようやく厩舎に戻ったかと思えば再び脚を痛がって山元トレセンに…。
…ホントにホントに待ってる間、長かったです。
というか、不安でした。嫌なことを色々、ほんとに色々考えて何度かHPを閉じようと思いました。
彼女が帰ってきたのは11月11日、福島の未勝利戦でした。
そもそも私がクイちゃんクイちゃんと騒ぎ始めたのは、2年前の北海道での出逢いがきっかけだったのですが、それには更に伏線があって3年前の秋の天皇賞での衝撃の影響がありました。
私は昔からゴミ箱に同情して(謎)泣けるような変な(笑)女でしたが、ダビスタをやっていてせっせと育てていた馬が、場面転換と哀しげな音楽と共に「予後不良」というものになってしまったときには、コントローラを投げつけ「もう絶対(ゲーム)やんないっ!」とマジ泣きしました。
…いい年した大人が…と呆れられるかもしれませんが(栗) そんな私が初めてスタートから興味を持ってみたレースがその年の秋の天皇賞でした。
家で何気なくテレビを付けて、何故か正座してスタートから見ていました。
そして一頭の馬に凄く心を惹かれました。
それがサイレンススズカでした。
鳥肌が立ってぞくぞくしました。
『凄い凄い、このお馬しゃん!!』 って。
それまで競馬をやっていた友達から 「あのレースは感動した」 とか 「あの馬は凄い」 とは聞いたことはあっても競馬自体に興味が無かったのでろくな知識は有りませんでしたし、パドックのことは「くるくる」って呼んでるぐらいのボキャブラリーしかなかったし。
サイレンススズカが失速したとき、私は朧気に、何が起こったかを覚りました。
現実はあまりにも残酷で、涙も出ませんでした。 テレビのスイッチを切りながら、多分私は競馬をやらないだろう、と思いました。
サイレンススズカは私の中で「可哀想な馬」としてその名前だけ残していました。
クイちゃんに出逢うまでは。
最初に心惹かれたのはフジキセキのポストカードでした。
それからNHPで壁を囓ってる可愛い栗毛の仔に出逢いました。
その子がフジキセキの仔としって、凄く感動したのを覚えています。
そして何よりも、私は勝手に彼女のことを「あの馬に似てる」って感じて嬉しかったのです。
そーです、「あの馬」こそが「サイレンススズカ」です。
ファンの皆さんごめんなさい(^-^; 比べてみればそんなに似てないし、栗毛で流星の馬なんて沢山居るけど、私の中では彼とクイちゃんのイメージが見事に重なってしまったのです。
フジキセキはその頃、産駒が走っていないころで、私がゴールデンピアスとフジキセキの子がとても気に入ってるんだ、と色んなサイトで触れ回っても「フジキセキの子はねぇ…」「走らないよ」なんて言われまくりましてかなりムキになって「いーえ、フジキセキ産駒は走ります!!」って頑張って言い張ってました(笑)
競馬知らないのに。
情報を得るためにGallopも買うようになり、POGにも応募して見事権利をゲットしたときは嬉しかったです。 そいでもってデビューが待ちきれずにたった1枚のへぼへぼ写真をTOPに応援ページまで作ってしまいました。
後からその日が、クイちゃんがちょうど栗田厩舎に入厩した日だと知ったときには無茶苦茶嬉しかったのも覚えています。
デビュー戦、調子に乗って横断幕も出しました。 某メルマガでデビューするのは知っていたのですが、それとは別に名前とデビューする日を教えて貰っていてものすごく嬉しかったのもありました。
中山の整理本部で幕出しの許可を貰ったもののパドックの場所が分からずに右往左往おして整理本部に戻ったあげく「…あの、スミマセン、パドックってどこにあるんですか?」って聞いた奴なんて、私ぐらいのもんでしょう( ̄^ ̄)(栗)(爆)
…そろそろ本題に入りましょう(^-^; 私は何気なく、ホントに深く考えずにホームページを作ってしまいました。
所が実際にクイちゃんが競馬場を走るようになった途端、とても怖くなったのです。
デビュー戦、一緒に走ったダイワソフィア、第3戦、一緒だったダイアモンドエッジ…共に私の目の前で競走中止となりました。
予後不良でした。
気休めでもいいから、馬頭観音へのお参りは欠かさないようになったのですが、それでも怖かった。
スズカと同じようになってしまったら…私は何でクイちゃんを応援するページなんて作ってしまったのだろう、彼女が居なくなったらどうするんだろう、って。
考えて考えて、HPなんてやめてしまおうって何度も思いました。
でもね…やはり馬の走る姿は美しいんと思うんです。
クイちゃんに出逢ってから、私はそれまで名前しか知らなかったサイレンススズカのことを色々調べました。
色んな本も読んで、それまで私の中では「可哀想な馬」だった彼が、どんなに凄い馬で、ファンに愛された馬だったのかを知って初めて泣きました。
私が下手な感傷に囚われていることなんかより、ずっとずっと凄い馬だったんだな、って。
勿論、スズカだけでなく、人間達の思惑なんのその…競り合って走る馬のすごさひたむきさ…中にはお茶目な馬もいるけど…そういうこと全てが愛しくて。
サイレンススズカが「可哀想な馬」のままで終わってしまっていたら、彼に対してなんて失礼だったんだろう、って。
誰が言ったか忘れたけど 「人間は必ず死ぬ。いつ、どこで、どんな風にの違いだけだよ」 って言葉があります。
生き物って、みんなそうなんだって頭では分かっていてもやはり思い入れがある人や物を失うときは、どうしようもなく辛い…。
失ったショックに耐えられずに心と体がボロボロになってしまうこともある。
でも、それだけ大きな存在に出逢えたことは、失ったからといってゼロにはならないと思うから。
除外が続いた去年の福島戦。 来週こそは走れると知ったとき、クイちゃんがどんなことになろうとも絶対応援していこうと決めました。
目の前で競走中止することもあるかもしれない…それでも目を背けずに応援していこう、って。
引退して乗馬になるって分かったときも不安は感じましたけど、それでも応援していこう、って。
繁殖にあがったけど、事故や病気で死ぬことがあるかもしれない。 それでもずっと応援していこう、って。
彼女に関する限り、凄く恵まれていて、現役の時も引退した後も、こうして追いかけて居られるけど、私が関わってる以上に、一頭の競走馬として彼女が色んな方に慈しまれてきたことを改めて感じています。
クイちゃんのちょっと「お嬢」なところも可愛いしね…(笑) でもって自分ではこのイタさが愛しいのだ(笑) なかなかここまではイタくなれんだろう、ってね(栗)
こんなに好きになれて嬉しいよ、って。 また会いに行ったときに伝えよう。馬アレルギーがなにさ(笑)
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